アクション写真界のキャパ (^_^;) こと <大阪Z80> が館長を務める私設博物館
<大阪Z80>とは?

<大阪Z80>とは何者なのか?

 1970年代後半、私は甲子園チアや女子高生の運動会にいって写真をとっていました。
しかしその当時は「アクション写真」なる概念がなく、甲子園でもチアガールとは
お互いに敵対関係でもなく、「無視」されている関係でした。
たまに「報道機関の人?」と勘違いされにっこり笑ってくれるチアもいました。

 1981年に馬場憲治の「アクションカメラ術〜盗み撮りのエロチズム」が発刊され
一大ブームがおこり、甲子園にはアクションカメラ小僧がぞろぞろ集まりはじめました。
このときに始めて「アクション写真」なるものがメジャーになり、世間で「こんなもんが
存在する」と認識されたと思っています。それまでは私は「こんな写真を撮ってるのは
世の中で私だけ!?」と思っていました。
甲子園チア達も我々の存在に気づき始めましたが、「敵対関係」まではいかず
「地元総出のおまつり」的な要素があり、「多少のことは祭りだから大目に見る」
と言うか、おおらかな時代ではありました。また逆に、写真を撮ってるのが
分っているのに私の方におしりを突き出したりしてくれた、協力的なチアも
沢山いました。(ホント!)そんな中で忘れられない思い出があります。

 相変わらずチア達のおしりを撮っているとチアの2〜3人が集まり私の方を見ながら
ひそひそ話をしているのです。私は「多分、文句を言われるんだな、そろそろ引き上げよう」と
思っていたところ、そのチア達の一人に「にいちゃん!私らのおしりを撮ってるやろ。!!」と
言われました。一瞬その辺にいた人達やカメラマン達の視線が私に注がれた気がしました。
次の瞬間「そんなに私らのおしりが撮りたいんやったら、みせたるわ!!」と言いながら
「そ〜ら!!」と言いながら数人のチアがくるっと後ろを向いてフレンチカンカンのように
スコートをたくし上げてお尻を突き出したのです。!!!
私はあっけにとられ立ち尽くしたままでした。チア達は「ケラケラ」と笑っていました。
私も若かったので彼女らになめられたのでしょう。なんともおおらかなお話でした。
勿論そのときにシャッターを切る勇気はなく、画像はありませんが、周りのカメラマン達は
シャッターを切っていたようです。どなたかその時の画像を持っておられたら
連絡ください。呆然として立ちすくんでいる間抜けな私が写っているはずです。

 そんな中、サン出版からセクシーアクションなる月間雑誌が発刊され、私も大阪Z80の
ペンネームで投稿したのでした。かなり多くの枚数が取り上げられ人気もあったように
記憶しております。その後アクション写真雑誌のブームになり多くの雑誌が発刊され、
私も他の雑誌にも他のペンネームで投稿しました。
そのときに投稿されていた人達の中で現在ホームページをやっている人が結構いるようです。
その人達で「SA同窓会LINK」も企画したいですが、果たして名乗り出てくれるか?

 その後も堂々とスコートの中にカメラを突っ込んで撮影するなど過激なカメラマンも
現れ、また「NHK局員の甲子園隠し撮り事件」等があり、規制が強くなり、写真も
撮れなくなりました。そのころマスコミが「ブルセラ」騒ぎをしてこれをネタに
商売する人たちが出始めBルマーも衰退していきました。
でも甲子園チア、Bルマーだけが「躍動美少女」ではありません。
スポーツ娘やバトン娘、みんなキラキラ光って輝いて私にはまぶしいくらい美しいです。

2002年1月 大阪Z80

研究資料:Z80の名前の由来

 Z80とは一世を風靡した8-bitマイコンです。
世界最初のマイコンは実は日本人の発想によるもので、電卓が
一品ごとの仕様で開発していたものをプログラマブルにしたものでした。
開発はインテルが行ったi4004が世界最初の4-bitマイコンなのです。(1971年)
改良版i4040、8-bit版i8008、またその改良版i8080と次々に開発されていきました。
しかしザイログ社がi8080に対抗して、命令強化し、ソフト開発も容易にし、さらに
ハード面でも使いやすく工夫したcpuがこのZ80だったのです。
日本ではこのcpuを使った「インベーダーゲーム」というテーブル型のゲーム機が
一大ブームになったことを御記憶のかたも多いでしょう。
このcpuは1976年にリリースされクロックは何と2.5MHzでした。
現在のインテルのペンティアム4と比べると隔世の感がありますね。
私は、仕事ではコンピュータには関係なかったのですが機械好きだったので、
おもちゃにして遊んだものでした。
当時はプログラム開発に高級言語などなく、アッセンブラすらありませんでした。
(あったけれども、私達素人には使える環境に無かったというのが正しいでしょう)
16進(HEXcode)機械語を憶えて16個のKEYを押してプログラムしていくのです。
私は、この時「マイコンというものは何でも出きる! 世の中変わるぞ!!」と
鳥肌が立つような衝撃を感じました。
なにか未来を垣間見たような、憧れと希望をこめて、ペンネームを<大阪Z80>と
したのです。
SAに投稿した、当時は「最新鋭のすぐれもの!!」との意味合いでしたが
今回は「Z80もペンティアムWも所詮同じノイマン型コンピュータ。基本は同じ!」
「昔インテルをおびやかすようなキラリ!光っていたことがあった」との
回顧趣味の2つの意味合いから、この名前で再デビューとなりました。(笑)



NECから発売されたTK80

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